川口市本前川地区網代橋近くにある水神社。
芝川沿いに佇む小さな神社で目立ちませんが、水の近くあるので古くは舟運の安全を祈願する神社として建立。
御由緒、御祭神、御神徳不明。
鉄道やトラック輸送の陸上交通に取って代わられるまで、河川を用いた水上交通は各地で盛ん
に行われていました。
見沼通船の代表的な河岸である八丁河岸(現在のさいたま市大間木・下山口新田)は、代用水・通船堀・八丁堤は赤山陣屋(川口市)に至る赤山街道の道筋でそうした理由から江戸時代には川口、根岸(安行領根岸)などの八丁河岸に居を構えていた多くの雇われ船頭が借船に乗って各河岸場に派遣され市内の河岸場では地域住民との交流があったと推察されます。
水神、水難供養塔を祀る水神社の建立は1845年(弘化2年)
八丁・山口新田や根岸村の人々が建立し、舟運に関わる人の安全を祈願したと推測されます。
当時川口河岸・東京(浅草付近)間の輸送は往復で4日かかっており、上流ではさらに日数がかかったとされています。
船内には(世事)という炊事・寝食を行う船室があったようです。
川口では、幕末になると幕府や藩から大砲鋳造を請け負うようになります。明治維新後、川口河岸には江戸時代以来の問屋名を冠した河岸場ができ、川口鋳物を支えていたようです。
現在の芝川には舟運がない為街中を通る静かな川ですが、200年以上前は交通網として利用されていました。その時に船に乗って移動する人たちの安全を祈願して建立された水神社。小さな神社ですが、何か大きな力を感じる場所でした。